【早川菅原神社】  村社  白旗村大字早川字城の下六八一番地

一 祭神 菅原道真公
一 由緒
村上天皇天暦十年(1616年)天滿天神の神霊を各國一同可勸請旨勅諚に依て阿蘇大宮司惟遠に窘(くるしむ、たしなめる)められ、早川城主三社(嚴島菅原熊野)神官長渡邊軍兵衛尉吉次阿蘇家の幼主を保護し共に深山幽谷を潜匿し舊記寶物多く敵兵の爲に亡失そ且領地は豊臣氏に沒收せられ神事祭典自ら廃絶す其後領主佐々成政に依りて再興せんとせしも事成らざるに小西行長領主となりて全部燒捨つ之に依りて渡邊吉次三社の神體のみ密かに岩穴の中に匿し小西滅亡の後元の社地に假殿を營み遷坐し奉り其後寛永十八年(1641年)大破に依りて之を再建す
寛文八年(1668年)猶大破に及ぶ寶暦六年(1756年)十一月文政八年(1825年)八月再建して今日に至る明治十三年(1880年)七月四日村社に加列す。

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