【古蘇武良(コソムラ)神社】

村社 下矢部村大字猿渡字宮の前一八七二番地

祭神 伊弉諾尊 伊弉冊尊

配祀 菅原道眞公

由緒 永正年間早川城主早川式部少輔正秀阿蘇大宮司惟豊の命を蒙り早川城を嫡子早川三社権大宮司渡邊民部亟吉良に譲り佐渡城に轉住す。仝十二年十一月十五日早川三社の内熊野神宮の分霊を祭る所也、依て此宮の末社と称し仝郡原村の内社村に鎮座す。其後今の社地より東の方に當り五六町を隔つる山上に移動す。仍ほ天正の末年に及び小西行長のために社殿焼却其後今の社地に移轉す、文化十三内子年再造明治四十年三月村社となる。

地理
山都町猿渡の郵便局前付近の道路から真正面に見える山に数本の大きなスギの木がある。最も大きなものは東側の端にあるが標識が見当たらない為、該当樹であるかどうかは不明。旧下矢部西部小学校入り口の右側に参堂があり、徒歩で50m、そこから階段を上ると神社があり、裏手に数本の大きなスギがある。旧下矢部西部小学校を通り過ぎて右折すると、直接神社に通じる道路に繋がるようである。

由来
境内には、猿渡城主の佐渡正秀が割腹した際、露出した腸を投げ出した白石を安置して神体とする境内社がある。この神社は、瀬峰・北川内・囲の氏神として、崇敬されている。
県が設置した表示板が不明なため調査中。古蘇武良(コソムラ)という名称は阿蘇惟豊の流れをくむが、1592年にこの地に遷座されるまでは、矢部町原の社村にあった、とされる。

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